【THREE PRIMARIES】VOL.6 宴車(うたげぐるま)さん
「Tint」とは「淡く染める」こと。でもそれは、パフォーマー自身が持つ色彩に重ねてこそのものです。【Three Primaries】は、TintRoomのパフォーマー自身が持つ三原色=「心(Mind)・技(Skill)・体(Competency)」に迫る、Tintインタビューシリーズ。第6回は、オンラインパフォーマンス発表会Vol.1Rで見事ドキドキ賞を受賞したポールダンスアーティストの宴車さんです。宴車の「心」:
色彩・音楽・想像力の絡み合いが、ポールダンスの表現力で爆発する。
幼稚園の頃から「色彩」にとても興味がありました。友達から離れて独りでブランコに乗り、目を閉じては瞼の裏の残像ばかり見ていましたね。クレヨンを何色も握って、ぐりぐり塗って抽象的な絵を描いたり。自分で描いた妖怪やモンスターの絵に色を塗るのも大好きでした。
その頃から習っていたピアノは、自分のアートのルーツ。個性的な先生で、必ず「この曲にはどんなイメージがある?」と聞くんです。「草原の中を白い馬が走っているような感じ」などと私が曲をイメージして言うと、「それをもっと豊かにイメージできるように弾こうね」と諭される。毎日練習が必要で当日は拷問のようでしたが(笑)、先にイメージを持って音楽を奏でていたことで、音楽と想像力、そして色彩を絡める右脳が鍛えられました。技術面だけの機械的な練習では続かなかったでしょうが、思い描くことでピアノが楽しくなったのを覚えています。
ポールダンスとの出会いは少し後で、大学卒業後、絵のコンペに落ちてばかりで鬱々としていた頃。たまたま六本木で声をかけられ、入った店がショークラブだったんです。はじめは「あ、間違えたな」と思ったものの、そこで見たパフォーマンスがあまりに衝撃的で!「こんなパフォーマンス見たことない!」と思ったら、もう深く考えることなくその日にお店に入っていましたね(笑)。夜の世界への抵抗や恐怖はどこかに行って、「探していた表現を見つけた!これなら自分の好きに何でも出来る!」と、自分の絵画世界を新しいものへと広げるためなら何でもする覚悟でした。
ポールダンスは表現の幅が広いんです。空中の立体三次元的な表現で、空間を余すところなく多面的に使うことのできる芸術。正直父は最初嫌がっていましたが、母に無理やり舞台に連れてきてもらったら、終演後には客席で「ブラボー!」と叫んでいましたね(笑)。父に「人生を賭けた芸術としてやっているのが伝わってきた」と言われた時には、私も涙が止まりませんでした。
宴車の「技」:
ポールダンスの神様は気まぐれ。不可解だからこそ面白い。
自分で描いた絵をテーマに踊ることもありますが、既存の絵画作品に表現をつけることもあります。作者は亡くなっていたとしても、やはり作品をお借りする以上、真摯に向き合って恥じないものを作りたい。自分の作品のほうが気は楽ですが、例えばムンクの『叫び』などは皆知っている作品なので、見る人をぐっと惹き込めるんです。
ポールダンスは間隔をあけると身体が重くなってしまうので、1日1回は必ず踊るようにしています。でも、すごく鍛錬した時ほど身体が軽いというわけではなく、ポールダンスの神様って本当に気まぐれ(笑)。どんなに鍛錬してもキレが悪い日もあれば、むしろゆるゆるやっている時のほうがスピーディに踊れたりもする。完全に比例しないところは、不可解だけど面白い部分でもあります。掴みどころがなくて、思い通りにならない、ダメンズみたいな感じ(笑)。
創作の苦しみがある時は、人に聞くようにしています。自分のパフォーマンスを見てもらい、そのことについて会話をすることは、私にとってすごく大切なこと。でも、友人からは「自己解決しちゃうよね」と言われます。結局自分の中に答えはあって、友人と話している間に頭が整理されて考えがまとまってくるんです。そんな話しを聞いてくれるアート仲間やカメラマンの姉は大切な存在です。
宴車の「体」:
豊かな絵の「躍動」を、自身の身体で代弁する。
大学卒業後、様々なコンペに応募してなんとか大きな賞を取ったものの、思っていた展開とは違い、葛藤した時期があります。個展を開いても、見る人の心構えがないと絵って無口なものになってしまう。私の絵はこんなにしゃべって動いているのに、それを感じ取ってもらえないことがすごく悲しかったんです。
でもその時、映画や音楽などの「宣伝」がヒントになりました。もともと興味はなくても、ふっと目にしたもの、耳にしたものに惹き込まれることってあるじゃないですか。視覚だけではなく聴覚と合わさった時に、人はその世界に入り込む。それは、絵を見てもらうためのとても大きな気づきになりました。絵と音楽を混ぜ、音楽を自分の身体へと結びつけることが出来るようになったのもそれからのことです。
アートとポールダンス、よく「静と動」など正反対のことをしていると思われることもありますが、私にとっては絵も踊りもピアノも同じで、皆「躍動している」んです。私の脳内フィルターを通すと、絵は紙の上で動き、ストーリーが絶えず巻き起こっている。だから、その絵の「動」の部分を肉付けして、止まっているように見えているのを動かしたい、「静」に見られがちだけどそうではないことを表現したい、そういう想いで踊りのパフォーマンスを取り入れていきました。
それと繋がるものとして、最近は「宴踊画(えんようが)」という作品を作り、動画にして配信しています(※宴踊画…身体に絵画を描き、それをまとって踊る宴車さんのライフワーク)。これまでは完全にパッケージとして作ったものを出すことしか出来なかったんですが、宴踊画は過程をみせる取り組み。粗も見えるし、失敗するかもしれないし、自分の想像通りに出来上がるとも限らない。でも、ボディペイントをしてくれるペインターさんとどう反応しあっていくのかが実験的で、自分でも出来上がりが想像できないからこその面白さがあります。
おそらく、完璧に出来上がったものを見せることに飽きてしまったんでしょう(笑)。出来あがったものを正確に表現することは、緊張はするけど楽しくはなくて、新しい発見がほとんどないんです。でも宴踊画をやっていると、新しいことばかりだし不測の事態も起きる。パニックになったりもするけど、それを皆と一緒に乗り越えることにわくわくします。
きっとファインアート(純粋芸術)なんでしょうね。普段の作品はどちらかというとデザインで、出来上がったものを研ぎ澄ましていく作業。ただここ数年、決まったことの繰り返しを楽しめなくなっていて、「もっと自分が楽しむためにはどうしたら良いか?」を考えていったら、この形になりました。今後出す予定の動画ではタップダンサーさんとコラボしたたのですが、すごく集中できて、アートのアンテナがびんびんに立った状態になりました。宴踊画はファインアートであり、私の喜びと遊びと実験が混ざったもの。それをお仕事としてやれているのはすごく幸せです!
宴車にとって、「パフォーマンス」とは?
パフォーマンスとは、人生。もし出来なくなったら死んでしまうと思います。見てくれる方は「人生の伴侶」なのかな。でも、見てくれる方あってのパフォーマンスだけど、それと同時に見てくれる方がいなくても私は踊ると思います。パフォーマンスは、自分が自分であることを保つために必要なものですね。インタビュアーコメント
「パフォーマンスは人生、なんて誰もがいいそうですよね」と添えた宴車さん。実際、そこまで迷いなく言い切れる人はそう多くはありません。自分が信じるもの、自分に見えている絵や音楽の「躍動」に疑いなく向き合う宴車さんの人生を、是非パフォーマンスを通じて感じてみてほしいです。
(Interview&Text:Shiho Nagashima)
撮影:加賀見
※注)画像の無断使用は禁止されております。
宴車 Tint Room
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