【Three Primaries】Vol.16 VRアーティスト Tipoo さん

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【THREE PRIMARIES】VOL.16 VRアーティスト TIPOO さん

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「Tint」とは「淡く染める」こと。でもそれは、パフォーマー自身が持つ色彩に重ねてこそのものです。【Three Primaries】は、TintRoomのパフォーマー自身が持つ三原色=「心(Mind)・技(Skill)・体(Competency)」に迫る、Tintインタビューシリーズ。第16回は、VRアーティストのTipooさんにフォーカス。2年前から大きな変化を遂げたTipooさんの「今」にあらためて迫ります。

Tipooの「心」:

「それでいいじゃん」 ご機嫌でいるための“ギャル”という鎧



約2年前、飼っていたハムスターの死をきっかけに、「死んだらどうなるのか」と考えるようになりました。そのせいか、ある日、何度も何度も生まれ変わり続ける強烈な輪廻転生の夢を見て、目覚めた瞬間現実の見方が大きく変わってしまったんです。この世界も、見てしまった世界も全部夢で、本当は存在していないかもしれないし、私が勝手に妄想しているだけかもしれない。そう思ったら、自分のことも、世界のことも、善悪も、何もかもがわからなくなってしまい、残ったのは「人生に意味なんてないんだ」という空虚な気持ちでした。

そんな時、なんとなく通りすがりにガチャポンを回して出てきたのが、この「単三にゃん池」です。
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これを見てなぜかクスッとしてしまって、その瞬間「なんだ、それでいいんじゃん!」と思ったんです。すごく役に立つものじゃないけど、それでもこの「単三にゃん池」は存在している。空虚だった心に、「笑えて、楽しくて、幸せならそれでいいじゃん」という考え方が差し込んできた感覚でした。

そこから、今後どう生きていくのか考え、辿り着いたのが「ギャル」です。

もともと調べていたのは「道化」で、代表的な存在であるチャップリンを調べていく中で、彼には悲惨な生い立ちがあり、「笑っていないと狂ってしまうから笑うんだ」と、笑いを辛いことへの対抗手段としてとらえていたことを知りました。その「世界を笑い飛ばす」とでもいうようなスタンスに共感し、現代で何に当てはまるかと考えた結論がギャルだったんです。自分を押し付けるわけでもなく、でもちゃんと自分のことを好きなのがギャル。Twitterでみちょぱ(タレントの池田 美優さん)が言っていた「男の人でもおばあちゃんでも小学生でも、メンタルがギャルならギャルだ」という言葉も印象的でした。

両親の教育が厳しかったこともあり、これまでずっと「大義を持った人間にならなければ」と感じていました。ギャルは、そんなプレッシャーから「お前の人生、そんなたいそうなものじゃないよ」「笑っていられれば、それでいいじゃない」と救ってくれたんです。

見た目も大きく変わりましたが、これは武装であり威嚇です。好きな人は寄ってくるし、そうでない人は遠ざかっていきますが、それでいいかなって。それに、コミュニケーション手段でもあり、身に着けることで士気をあげる側面もあります。ピンクはもともと好きな色で、身に着けると、油断したらすぐ元に戻ってしまう自分をぐっと引き戻してくれます。自分がご機嫌でいれば考え方もポジティブになるし、そういった自分の土台となる部分を自分でつくれれば維持もしやすいですよね。ギャルでいることは、つい大義を持とうとする自分への「抵抗」なのかもしれません。

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Tipooの「技」:

祭りとしての芸術を“盛り上げる”ためのパフォーマンス



パフォーマンスも約2年の間に大きく変化しました。以前は「クオリティが高ければOK」と思っていたんです。はじめての住宅展示場での仕事のとき、下を向いてただ描いているだけだった私に「笑顔でいることや身体表現も含めて、全てが表現だから」と教えてくれたのは加賀見さんでした。

それ以降ダンスやステップを取り入れるようになりましたが、見られることを意識できるようになったのかというと、ちょっと違うかもしれません。おそらく、VRのHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を初めて被った時の「楽しい!」という興奮した感覚を思い出しながらパフォーマンスするようになったのかなと。実際、お客さんのことを意識するのではなく、自分自身がわくわくしながらパフォーマンスしているときのほうが「良かったよ」と言ってもらえることが多いんです。

最近は誰かと一緒にパフォーマンスする機会も増えていて、この間は後輩と一緒に行いました。お互いVR上の同じワールドに入っているので、相手のつくっているものが見えるとやっぱりライバル意識が芽生えます。でも「それいいじゃん!」なんて会話もあって、そういうコミュニケーションがあるからこそできた作品もたくさんあります。もちろん技術的な会話も多く、モデルの作り方から音楽のあて方まで、具体的に打ち合わせてつくっています。そういった相手がいることで自分のポジションがわかるし、相手によってポジション自体が変化することも楽しんでいます。

パフォーマンスにおけるもう一つの大きな変化は、描いたものを見せるのではなく、総合芸術のような形になってきたこと。そもそも神様を祭るための踊りや宴、洞窟に絵を描くことが芸術だったのが、徐々に四角い額縁にきっちり収まるものだけを芸術として扱う世の中になっていました。それが技術の発展によってまた元に戻ってきて、体を動かしたり表情を変えたりすることを、パフォーマンスとして見せることができるようになってきています。私自身も変化したことで、その技術の力を活かせるようになってきました。

ただし、「祭りとしての芸術」というスタンス自体は2年前から変わっていません。変わったのは、メンタルがギャルになったことで、祭りにとって大事な要素である「盛り上げ」が得意になったこと(笑)。盛り上げることを、心の芯にぐさっと刻めたんだと思います。

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Tipooの「体」:

「わからなくてもおもしろい」 そのための全力投球



こういった変化は、求めるのでもなく、抵抗するのでもなく、「しょうがないもの」だと思っています。純粋に「止めることのできない自分の性質」であり、結局後々繋がるんです。もしくは、もともとひと繋がりのものをいろいろな角度から見ているだけなのかもしれない。今後どうなっていくかわからないけど、それでいい。身を委ねるような感覚ですね。やってみないとわからないし、仮に失敗したとしてもそれもいい経験になります。

それに、その時勉強していたことや直前に食べたものなど、さまざまな外的要素で人は常に変化します。身体に取り込んだものは消化され細胞になっていきますが、そうして出来上がった自分はどこまでが「自分」なのか。自分の欲求だと思っていることも細胞からの信号で決まっていたり、「細胞の9割は他人」という言説もあるぐらいで、どこまでが自分かさえもわからないんです。

実際世の中を見ても、わからないことや知らないことで溢れています。それでも、知らないことに触れ続けるのは大切なこと。例えば知らない場所に行くことで、視界に入るものを変化させて身体に良い影響を与えることができるし、あらためて自然の力を感じることができます。自然は人がコントロールできるものではないし、そもそも自分が自然物でできていることをまず忘れちゃいけない。知らない場所にいくことでそのことを再認識できるし、これまでの常識では理解できないことにも出会うことができます。その「わからない」が大切。芸術だって、よくわからないことが多いですよね。人それぞれに人生は違うので、わからないことばかりでいいんです。

私の作品も、わからなくていいのでおもしろがってもらえたら嬉しいし、私自身もわからない人の考えをおもしろがりたいと常に思っています。無意識に決めつけないよう「当たり前」を遮断して、私も「今の私はこれです!」と全て出し切る。今このタイミングで自分が持っているものは、使い損ねないようにしたいですね。

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Tipooにとって、「パフォーマンス」とは?



「過去にタイムスリップ」でしょうか。VRでのパフォーマンスのためにHMDを被るときはいつも、最初に自分が被ったときの記憶を呼び戻している感覚があります。「こんなにおもしろいんだ!」という衝撃を感じた初心の状態に戻ってやっていることを、ただ見せているような感覚です。その自分にとっての「過去」が、お客さんにとっての「未来」になっていったら嬉しいですね。


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インタビュアーコメント

前回のインタビューから2年ぶりにお会いしたTipooさん。「祭りとしての芸術」という根っこは変わらずも、それを盛り上げるということへの意識や、そのためのメンタルとの向き合い方が、「ギャルになった」という見た目の変化の背景にありました。今後もきっと全身全霊をかけたVRパフォーマンスで、未来をつくっていってくれるはず。是非、Tipooさんへのご依頼をお待ちしております!

(Interview&Text:Shiho Nagashima

Tipoo Tint Room

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